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北澤豪「アレは最高だった」ヴェルディ時代の忘れられない思い出とは?

発行元:テレビドガッチ | 登録日時:2017年10月28日 13:20

勝村政信皆藤愛子がMCを務めるテレビ東京のサッカー番組『FOOT×BRAIN』(毎週日曜11:00~)。10月29日の放送で新企画「検証! Jリーグオリジナル10」がスタート。初回は東京ヴェルディ1969が特集され、黄金時代を担った都並敏史北澤豪、現役引退後にコーチを務めた秋田豊をアナリストに招き、栄光と凋落の歴史を振り返っていく。

「Jリーグオリジナル10」とは、1992年のJリーグ発足時に加盟していた10クラブを指す言葉で、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島がこれに該当。(表記は当時の呼称)

東京ヴェルディの創設は1969年。前身の読売サッカークラブがJリーグ発足を機にヴェルディ川崎になり、2001年にホームタウンを川崎から東京都に移し、東京ヴェルディ1969になった。1993年のJリーグ発足当時、アナリストの2人はもちろん、三浦知良ラモス瑠偉といった多くのスター選手が所属し、華麗なパスサッカーはサポーターを魅了。鹿島アントラーズとのチャンピオンシップを制し、Jリーグ初代チャンピオンに輝いた。

都並は当時を振り返り、「我々は読売クラブというセミプロチームみたいなものがあって、高いプロ意識とレベルを保ってJリーグに突入していった。レベル的にはダントツで、急に強くなったわけではないんです」と圧倒的な実力について語り、ライバルとして戦った秋田も「大人に頭を押さえられているのに、手を振り回して暴れる子どもみたいでした。本当にそれくらいの差はあるなと感じていましたよ」と舌を巻いた。

そして、プロ意識でも他を圧倒。特にMVPを獲得した三浦は、JリーグAWARDSにおいて、赤のスーツを身に纏って風船の中から登場するパフォーマンスで世間の注目を集めた。選手達は「絶対に黒のタキシードを着なくてはいけない」と言われていたそうだが、三浦の振る舞いを見て、都並は「プロってそういうことか」と感心したという。

そんな中、「試合後の夜は派手だったのではないか?」と質問が飛ぶと、都並は「なかなかのものでしたよ」と笑いながらも、試合後にラモスの号令で全選手が集まってメキシコ料理店に向かい、そこで真剣にサッカー談義を行っていたと告白。ある程度時間が経ってから知り合いが合流してくることはあったそうだが、基本的にはサッカーの話が中心で、都並は「喋った分だけ責任が出てくるから、次の試合が熱くなってまとまるという感覚でした」と振り返った。一方の北澤も「(練習で)問題が起こった時に俺はこう思うって言えないとダメなのよ。(ヴェルディは)自分のサッカー観を持っていないといられない場所」と語り、お互いの主張がぶつかりあいながらも、「勝つ」という一点でまとまっていたと明かした。

しかし、96年の夏、ヴェルディに衝撃が走った。大黒柱としてチームを支えていたラモス瑠偉の移籍。勝村が「“ラモスロス”をどのように解消したんですか?」と尋ねると、北澤は「できませんよ」と打ち明け、その存在の大きさを示した。また、クラブが大きくなるにつれて、クラブハウスの人の出入りも多くなり、色々なことが変わっていくうちにまとまりがなくなっていったという。

そして、ラモスの移籍と共にクラブの成績も低下。96年にJ1で7位、97年には主力が次々に退団し、1stステージ16位、2ndステージ12位とクラブ初の2ケタ順位に。そして2001年には、ホームタウンが川崎市から東京都へ移転し、チーム名が現在の「東京ヴェルディ1969」へと変更になった。クラブは松木安太郎を再び監督して招聘。黄金時代に活躍した選手も呼び戻したが浮上のきっかけを摑むことはできなかった。

この時期、キャプテンだったという北澤は、「クラブが求めるヴェルディのサッカーと連れてくる監督が一致していかない。もちろん監督が求める選手とサッカーならある程度のものを作り上げることはできるけれど、優勝を狙えるほどではなかった」と述懐。その後も成績を伸ばすことはできず、2005年11月26日、ヴェルディはJ2に降格してしまう。

このときのクラブの状態について、都並が「負の連鎖でドンドン悪くなった」と振り返ると、勝村は「観客も離れ、サンバのリズム隊がいなくなっちゃいましたからね」と残念そうに一言。北澤も「必要だったよね。試合中ずっとサンバのリズムを叩いてくれて、アレは最高だった」と懐かしみ、アナリストの3人は、サポーターの大切さを改めて口にしていた。

また、転落した最大の原因を聞かれると、北澤は「それの解答があればこうはならずに来られたんじゃないかな。消すことのできない過去ですから、それをどうやって活かすかがクラブの作り方」と語った。

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